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運営団体:一般社団法人 久米崇聖会

お知らせ

久米行事

2025.11.12

久米村時代の年中行事(旧十月の行事 )

 秋の陽ざしがやわらぎ、北風が頬をかすめる頃。久米村では「アチハティ・ジューグッチ(あきあきする十月)」と呼ばれ、行事の少ない静かな月とされています。にぎやかだった夏が終わり、冬を迎える準備にとりかかります。
 石垣の上には、「タンドゥ(練炭)」が並び、すえた芋皮のにおいが漂います。そんな光景が十月の風物詩でした。寒さの訪れを感じる穏やかな季節のくらしをご紹介します。 

タンドゥ (練炭)

 北風が吹きはじめ、寒い冬が目前に迫る十月は、マギサ(大)・クーサ(小)を問わず、各家庭で冬のための「タンドゥ(練炭)」づくりがはじまります。
 貯めておいた消し炭や炭俵の底に残った木炭の粉にウム皮(芋の皮)を混ぜて卵形に丸め、板の上に並べて石垣の上に置きます。黒々としたタンドゥがずらりと並び、屋敷の低い石垣の上から鼻を衝くにおいが漂うと、村に秋の終わりを感じさせます。

ヒール(火鉢)

 ヒールとは、かぼちゃほどの大きさをした素焼きの火鉢で、表面を反古紙で包み、手が熱くならないよう工夫されたものです。タンドゥは、このヒールの中に入れて燃料としての力を発揮しました。 戦後のころまでは、壺屋の崖下にあった焼き物市でヒールが並べて売られていました。寒い日には、おばあさんたちが「ヒール ダチ マーン ンジランサ(火鉢を抱いたまま動けない)」と言いながら、火鉢を抱えて暖を取っていました。

クンパー(粉挽き)

 久米村には、クンパーと呼ばれる粉挽きの仕事を営む家庭がありました。
 村の中でも無役の二男・三男たちが、冊封使(さっぽうし)の出捐金をもとに久米村が購った「ウシフエ屋敷」に住み、粉挽きを業としていました。

 彼らはひきうすで小麦を挽き、その粉を鞴(ふいご)に似た細長い木箱の篩(ふるい)に入れ、柄を前後に押したり引いたりしながら、小麦粉とフスマにふるい分けていました。
 その際に響く「パックン、パックン」という音が、遠くからは「クンパー、クンパー」と聞こえたことから、この粉挽きの仕事が「クンパー」と呼ばれるようになったといわれています。

 クンパーの仕事は、小麦を挽き、小麦粉を採り、フー(麩)やショウフ(生麩)を作るなど、一連の作業を手がけるものでした。
 規模は小さくとも、村の暮らしを支える立派な生業のひとつだったようです。


 旧暦十月の久米村は、北風が吹きはじめ、家々の石垣の上には冬支度のタンドゥが並びました。海風が乾きを運び、行事の少ないこの月は、人々が静かに暮らしを整える季節でもありました。その穏やかな日々の中に、どこかからヒールのぬくもりと笑い声が漂ってくるようです。