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運営団体:一般社団法人 久米崇聖会

読み物

久米行事

2025.10.17

久米村時代の年中行事(旧九月の行事 )

 秋が深まり、空気が澄みわたる旧暦の九月。久米村ではこの頃になると、菊の花を供える「菊御酒」や、祖霊を敬う、空を彩る凧あげ、子どもたちが鷹を飛ばして遊ぶ「鷹トゥバセー」など、自然の移ろいとともに多彩な風習が息づいていました。九月の行事を紹介します。 

菊御酒(チクウジャキー)

 旧暦九月九日の重陽の日には、菊の葉三枚を盃の三方からさし入れお酒を注いだ菊御酒を霊前と火の神にお供えしました。供えた後は、子どもの額には指でつけて無病息災を祈り、大人はお下がりとしていただいていました。久米村でも詩文をたしなむ人々が城岳や湧田などの景勝地に登り、秋の高い空を仰ぎながら風雅を楽しんだと伝わっています。

マッタクー(凧あげ)

 ミーニシ(北風)を思わせる風が吹き始めると、子どもたちは凧づくりに夢中になりました。凧に適したウビ竹(砂糖樽の周りにはめられている輪状の竹)を求めて西新町(現在の西町)、遠くは壺川辺りまで探しに行く事もありました。チャーブクル紙(お茶袋用の和紙)や、美濃紙を使って凧に紙を張るのですが、精巧な凧をつくるときは、父親が手を貸すこともあったようです。親子で空を見上げる光景は、秋の風物詩となっていました。

お観音拝み・天妃菩薩の拝み

 旧暦九月十八日、十九日、二十三日のいずれかの日に、勧請(かんじょう)している家々では観音様や天妃菩薩、関帝を祀り、家内安全と五穀豊穣を祈りました。

ウフウスーコー(大御焼香)

 九月はウフウスーコー(二十五年忌・三十三年忌)を行う季節でもありました。この月の吉日を選び執り行われました。久米村では「トーブルメー(唐振舞)」と呼ばれるもてなしが行われ、女性たちは数日前から準備に忙しく働きました。

鷹トゥバセー(鷹飛ばし)

 秋の寒露の頃、空には鷹の群れが北から南へと渡っていきます。その時期、市場には鷹が並び、男の子たちは鷹を買ってもらい、紐をつけて広場で飛ばして遊びました。時には縄が手から離れ、鷹が空へと舞い上がってしまうこともありました。そんな時は「アンデー タカ ワッター ヤッチーメー ウェームンドー ウドゥン ヌ クシンジ ヰチョー リ ヨー(あぁぁ!わたし達の兄の鷹よ、御殿の後ろに留ってなさい)」と呪文を唱えながら後を追い、鷹が木にとまるのを見てホッと胸をなでおろしていました。
 数日遊んだ鷹には、牛肉の切れ端と一文銭を脚に結び、空へと放して別れを告げるのが習わしでした。
 鷹の飼育法については、『琉球国由来記』の「事始」に一六七六年(康熙十五年)に世子・尚純が薩摩から鷹を持ち帰ったと記録があり、その後一六九三年(康熙三十二年)年に久米村の阿波連家の十世・金溥が在留通事になって福州へ渡る際に、尚純から養鷹法を学ぶようにとの命を受けたと伝わっています。


 旧暦九月の久米村は、 空に舞う凧や鷹の姿、菊の香り、法要の煙──それぞれが季節の移ろいを映し出し、人々はそのひとときを大切に暮らしていました。風の音に耳を澄ませば、今もどこかで当時の子どもたちの笑い声が聞こえてくるようです。