2025.09.17
久米村時代の年中行事(旧八月の行事 )
暑さが次第にやわらぎ、朝夕の風に秋の気配が漂いはじめる旧暦八月。久米村では、豊穣を祈り、祖霊や守神に感謝を捧げる行事が続きました。妖怪を追い払う爆竹の音や、十五夜の月明かりの下での静かな祈り、暮らしと歴史が交差する、八月ならではの行事を紹介します。
丁御祭(クーシーウマチー)
八月の最初の「丁(ひのと)」の日に、孔子祭りが孔子廟で執り行われていました。孔子を敬う久米村の人々にとって、学問と徳を重んじる心を新たにする大切な節目でした。
トーカチのお祝い
八日は「米寿」にあたる八十八歳を祝う日です。 久米村で該当者がいる年もあれば、いない年もありましたが、長寿を寿ぐ心は代々大切に受け継がれてきました。
ヨーカビー(八日の日又は妖怪日 ※諸説あり)
八日から十五日までを「ヨーカビー」と呼び、夜になるとヤナムン(妖怪)が出ると信じられていました。この期間は家々でホーチャク(爆竹)を鳴らし、妖怪を退散させました。
子どもたちにとっては怖さと好奇心が入り混じる特別な日々だったかもしれません。
ホーチャク売りの少女
ヨーカビーの頃になると、小さな女の子たちが爆竹を仕入れ、近所を回って売る姿が見られました。
母や祖母からムートグヮー(元手、二十銭から五十銭ぐらい)を借り入れ、ホーチャクグゥー(爆竹小)を仕入れてきて、十本一束位のものを六本一束に束ね直してウメーバーク(女の子の玩具箱)に並べて、隣り近所の家々を廻って売り歩きました。訪ねられた家では皆がよろこんで買ってあげていたようです。
遊びのようでありながら、計算や商いを学ぶ貴重な体験の場でもありました。
屋敷の拝み(屋敷の御願(ウグヮン))
朔日からヨーカビーに入る前日の七日までに吉日を撰んで、二月のときと同様に祈願を行いました。フーフラ(符札?=護符)もお寺から紅紙をいただき、長老に「急々如律令」と書いてもらい、家の出入口、屋根門(ヤージョー)の左右の柱に張り出しました。また、家の四隅にはゲーン(薄(すすき))も挿していました。
ヤングヮ(やんぐわ)
ヨーカビーに入ると少年たちは木の上に登り、タマガイ(鬼火)を見ようと夜を過ごしました。勇気を試す「試胆会」のような遊びで、恐れを乗り越える体験として行われたようです。
十日のウイミ(折目の日)
十日には特別なお膳が整えられ、豚肉の汁物が霊前に供えられました。
十五夜
中秋の名月を祝う十五夜は、久米村でも特別な日でした。十五日は「ウイミ」にあたり、食膳には豚肉のお汁が添えられました。また、フチャギ(縦三センチ、横八センチほどの長方形の餅に小豆をまぶしたもの)を作り、霊前とお月様に供えました。
この日は職人衆が仕事を休み、西武門周辺の鍛冶屋も一斉に休業するため、普段は響き渡る鎚音も止み、村は森閑とした静けさに包まれました。
守神の祭り
観音や関帝王、文昌帝君、天妃菩薩など、各家庭で信仰する守神を祀る行事です。十八夜、十九夜、二十三夜と呼ばれる晩に、感謝と祈りが捧げられました。
ウビナリー
門中の人々が集い、崎樋川(サチヒジャー)参り(メーイ)で一帯の山嶽、泉を拝み、天久寺で水撫でを行い祈願しました。
自然の恵みに感謝し、家族や一族の無病息災を祈願する大切な行事でした。
お彼岸の祭り
春と同じように、秋のお彼岸にも祖先を敬う祈りが行われました。
旧暦八月の久米村では、妖怪を追う爆竹の賑やかさ、月に供える餅の素朴さ、守神や祖先への祈りが交じり合い、季節の移ろいを彩っていました。
人々は自然と霊と向き合いながら、季節ごとの祈りを暮らしの中に息づかせ、先人から受け継いだ営みを大切に守り続けていたのです。