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運営団体:一般社団法人 久米崇聖会

読み物

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2026.01.20

久米村時代の年中行事(旧十二月の行事 )

北風が強まり、ムーチービーサ(ムーチーの寒さ)が訪れる頃、久米村の十二月(シワーシ)が始まります。
井戸端で洗われるムーチガーサ、蒸しあがる餅の湯気に混じるサンニンの香り、子どもたちの成長を願い、神々へ一年の感謝を捧げながら、久米村の人びとは年を越していきました。

寒さの中で年の節目を迎える、久米村の師走の暮らしをご紹介します。

ムーチー

ムーチーは、久米村において子どもの成長を願う大切な行事でした。
旧暦の八日ムーチーの日に当たりますが、その前後には決まって強い北風が吹き、「ムーチービーサ(ムーチーの寒さ)」と呼ばれる寒波が訪れます。

ムーチー作りは、この寒さの中で行われます。餅を包むクバの葉やサンニン(月桃)の葉はムーチーガーサと呼ばれ、井戸端で洗われ、子どものいる家々ではたらいが並び、村のあちこちで冬の風景が広がりました。
夕方には葉の準備を終え、夜になるとムチグミ(糯米)トーヌチン(きび)の粉を葉で包み、蒸し上げます。湯気とともに広がるサンニンの香りは、ムーチーの季節を感じさせるものでした。
翌朝、白いムーチーチカラムーチー(力餅)黒糖を加えた色つきのムーチートーヌチン(きび)ムーチーなどが用意され、子どもたちに公平に分け与えられました。

ムーチーは霊前に供えられ、親類や縁者へも贈られます。特に新生児が生まれた家庭では「ハチムーチー(初ムーチー)」と呼ばれ、通常より多く作られ、特別なものとして配られました。この日はウイミ(節目/折目)の日とされ、家族で食事を共にしながら、子どもの健やかな成長と家の無事を願いました。

ヒヌカンガナシの上天(火神加那志=竃神の上天)

旧暦二十四日の夜は、ヒヌカンガナシ(火神加那志=竃の神)が天へ上る日とされています。
この日は、朝のうちに「シーシクミ」と呼ばれる竃の清めが行われます。潮の差しかける時刻を見計らい、古くなったシーシ竹(ダキ)を取り外し、竃のすすを払い清め、新しいシーシ竹と取り替えました。竹は、葉を戸口側に、根を屋内側に向けて掛けるのが習わしでした。

こうして清めを終えると、夕方からヒヌカン(火神)の上天を待ち、拝みは夜に入ってから行われます。花生けにはフチマ(まさき)の枝を用い、香炉のある三か所に白紙を敷いて橙を供えました。さらに、白ウブクと三つの椀にフチマの葉を添え、その上にアレーンチュミ(七度洗った米)を盛って供えます。
拝みでは、最初にヒラウコウ(平御香)を十二本焚き、その後、線香が燃え尽きないうちに六回、計七回の進香を行いました。ヒヌカンへの拝みと同様に、御霊前へも拝礼します。

ヒヌカンは、一家の暮らしと深く結びつき、日々の炊事を通してその家の吉凶禍福を司る神と考えられていました。この日、ヒヌカンは天に上り、その家の一年の善悪を言上すると信じられていたため、家庭内では口論や悪口を慎むべき日とされていました。

トシ ヌ ユール(歳の夜)

トシ ヌ ユールは、久米村で一年の終わりを迎える大切な夜でした。この日の夕食は、通常のウイミ(節目/折目)よりも特別とされ、赤飯に豚肉の汁、酢のあえ物などが用意されました。膳にはヒルヌファー(にんにくの葉)が添えられましたが、これは食べるためのものではなく、霊前への供え物として出されていました。

この夜には「トゥシ トゥイ クニブ(年をとる九年母)」と呼ばれる習わしがありました。シークワーサー(クガニー)を家財道具一つひとつに供え、感謝の気持ちを込めて年を取らせるというものです。人だけでなく、日々の暮らしを支える道具にも心を配る、久米村らしい風習でした。

トシ ヌ ユールの夜に外のトイレ(当時は屋外にある石造りのフール)に行くことは忌みとされ、やむを得ない場合にはヒルヌファーを携えるとされていました。こうした細やかな決まりごとも、年の節目を大切にする意識の表れだったといえます。
また、ブンジリ(決算)と同様に、トゥシジリ(歳末の決算)も除夜に行うのが習わしでした。

一年を無事に過ごせたことに感謝し、新しい年への願いを胸に、久米村の年越しの夜はふけていきました。


ムーチーに込められた子どもの成長への願い、神々への感謝と暮らしを整える拝み、そして年越しの夜の静かな時間。

久米村の十二月(シワーシ)は、一年を締めくくり、新しい年へと心をつなぐ月でした。