2025.03.04
文化講演会「日本と琉球国」開催のご案内
久米崇聖会では、このたび「日本と琉球国」をテーマにした文化講演会を開催いたします。本講演会では、石井望氏を講師にお迎えし、琉球と日本の歴史を漢字音から読み解く独自の視点を通じて 、源為朝伝説や琉球王国の成立、神道との関係などを探ります。
「日本と琉球国」
~日本全土とつながる琉球の飛鳥時代以来の歴史の謎を解き明かす~
飛鳥時代、内地では沖繩を掖玖(やく)、邪久(やく)と呼び、チャイナの隋では流求と呼びました。平安時代前半のチャイナ史料では「幽求」に作り、掖玖と流求との中間的な音形です。方言や古代漢字音を綜合すると、掖玖、幽求、琉球は同源と考へられます。
隋の將軍陳稜が琉球に遠征した時、船は高華嶼(コエ島)と句鼊嶼(コパ島)を經由します。コエ島は後の鷄籠(コエラン)であり、現代の臺灣最北部の基隆です。コパ島は久場島なので、陳稜が遠征した琉球は沖縄だと分かります。この時、琉球人は陳稜を歡迎して交易しますが、陳稜は騙し討ちに出て琉球人を襲撃殺戮します。この騙し討ちの教訓は現代にも通じます。
源爲朝が舜天王を産んで舜天王統の祖となった傳説は、薩摩藩の意向で利用された、乃至捏造された、などとするのが定説です。しかし舜天の子「舜馬順熙」はチャイナ漢字音及び形聲文字系列で解すれば「すますい」となり、島添に外なりません。
舜天の母は大里按司の妹なので、舜馬順熙は與那原の島添大里に外なりません。舜馬順熙の漢字音は久米唐人の古記録にもとづくので、薩摩の意向で捏造したとは考へられません。舜天王統の信憑性が高まります。
齋場御嶽の西北側の須久名(すくな)御嶽は齋場御嶽の前身です。與那原の舜天大里王統が衰へ、佐敷の尚巴志王統に權力が移行するとともに、御嶽も須久名から齋場に移ったと考へられます。
1392年、須久名(手孤那、才孤那)の民が硫黄鳥島で硫黄を採掘した記録があります。海中の火神(ひぬかん)を祭るためでせう。『古事記』の少彦名(すくなひこな)と同一であり、琉球神道は内地神道と同源と考へられます。
石井望(いしゐのぞむ)
詳細
演題 | 「日本と琉球国」 |
講師 | 長崎純心大学 言語文化情報学科 準教授 石井望(いしゐのぞむ) |
講師紹介 | 長崎純心大学 HPリンク |
日時 | 2025年3月22日(土曜日) 開始:15:00 終了:16:30 |
場所 | 明倫堂(久米孔子廟内) ※那覇市久米(福州園近く) |
住所 | 那覇市久米2-30ー1 |
駐車場 | 駐車場はございませんので、近隣のコインパーキング等をご利用ください。 |
受講料 | 無料 |
定員 | 50名(要予約) ※定員に達し次第、締切 |
お申込み・お問合せ
久米崇聖会 事務局 |
電話番号 098-988-0907 |