琉球における公立学校の始まり
程順則名護親方が王府に願い出て建設されました。久米村の子弟に儒学を中心に官和(中国の公用語)、外交文書の書き方などを教える学問の府で、琉球初の公立学校となりました。廃藩置県までは、その一室が久米村の役所機能を担っていました。現在は2階の講堂で公開講座「久米孔子塾」が開設されるなど市民、地域に開かれた施設です。
程順則名護親方が王府に願い出て建設されました。久米村の子弟に儒学を中心に官和(中国の公用語)、外交文書の書き方などを教える学問の府で、琉球初の公立学校となりました。廃藩置県までは、その一室が久米村の役所機能を担っていました。現在は2階の講堂で公開講座「久米孔子塾」が開設されるなど市民、地域に開かれた施設です。