久米三十六姓の歴史

中国福建から琉球へ渡来した久米三十六姓

久米三十六姓とは

  閩人三十六姓とも言われ、明の時代の初期に閩の国、今の福建省から洪武帝の命により琉球へ渡来したといわれています。彼等は中国と琉球を往来するための航海・造船等の技術を持ち、進貢に不可欠な外交文書の作成や通訳、交易を担い、琉球王国の繁栄を支えた職能集団です。1392年に琉球に初めてやって来たとされますが、その後三百年間にわたり中国福建からの渡来者や首里・那覇士族から迎え入れた人達も含めて久米三十六姓と称しています。居住区域は久米村(くにんだ)と呼ばれ、そこに暮らす人々は久米村人(くにんだんちゅ)と呼ばれました。

久米三十六姓と至聖廟

 閩の国、福建からきた久米三十六姓の居住地である唐栄、久米村では中国文化が定着し儒教思想に基づく教育がされていました。中国の各地や東南アジアの華僑の人々と同様に、渡来人の心の拠り所として曲阜から孔子の絵像を持ち帰り1610年から釈奠の儀礼など行うようになりました。はじめは久米村内の有志の家を持ち回りで祭典を行っていました。1671年になって尚貞王の許可を得て公費と寄付により孔子廟を泉崎橋近く、現在の那覇商工会議所隣に建てました。それ以来、今日まで久米三十六姓の人々とその末裔が廟を守り祭礼を行っています。

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