至聖廟と久米村

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孔子と至聖廟

孔子と至聖廟(孔子廟)について説明します。

孔子とは

孔子(B.C.552年 ~ B.C.479年)
春秋時代の思想家で魯(現中国山東省)の出身、世界「四聖」のひとりです。政治家を志し魯の国の大臣となったが、自分の理想とする政治が行なえず辞任し諸国放浪の旅に出ました。その後魯へ戻ってからは弟子の教育と学問に励みました。没後弟子達により、その教えが『論語』として纏められ儒学の基礎となりました。

中国の孔子廟

孔子廟は文宣王廟、宣聖廟、聖廟、文廟、孔廟などの呼び名があります。孔子の亡くなった翌年(B.C. 478年)魯の哀公が曲阜の孔子旧宅を廟としたのが孔子廟の起源と伝えられています。その後、漢の武帝が儒教を国教とした時(B.C. 139年)から保護が図られ、明・清代に現在の曲阜孔廟がほぼ完成し、故宮太和殿・泰山岱廟とともに中国三代宮殿のひとつに数えられています。
南北朝時代に孔子廟を建てる傾向が起こり、630年唐の太宗が各主要都市に孔子廟を建てさせたのが端緒となって、さらに中国全土の都市に広まりました。

日本の孔子廟

701年に大学寮で釋奠が行われたとの記録があり、ここが最初の孔子廟と思われます。江戸時代になると儒学が重んじられ幕府や藩が学問の場所として孔子廟を建てました。湯島聖堂は徳川幕府が聖堂を新建し林羅山宅にあった廟を移したものです。その他、閑谷学校聖廟(岡山)、多久聖廟(佐賀)、足利学校聖廟(栃木)や白虎隊も学んだ会津藩校日進館(福島)などが創建され、今も釋奠が行われています。

琉球の孔子廟

泉崎橋際の久米村の地に久米至聖廟(久米孔子廟)がありましたが、先の大戦ですべてが焼失しました。跡地には台湾台北市から寄贈された孔子像が建てられ、孔子直系77代の孔徳成先生が出席し除幕式が行われました。

孔子像

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至聖廟跡地 26.214930, 127.677041 至聖廟跡地
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