行事

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釋奠とは

孔子と四配(顔子、曾子、子思子、孟子)、啓聖祠を祀る行事です。釋奠は「せきてん」と読み、釋「おく」、奠「供え物、まつる」を意味し後漢の頃に始まったと言われます。もともとは天子を祀ることですが、後漢以後は孔子やその弟子達を祭る儀式を指すようになりました。

琉球では1610年、久米村総役の紫金大夫蔡堅喜友名親方が進貢使の一員として中国(明)に渡った折り、曲阜の孔子廟を参拝し孔子と四配の絵像を持ち帰って、久米村の有志の家を輪番で祭典を行ったのが始まりです。1676年の至聖廟落慶後は廟で行われ、後に国家的祭禮となり祭主を三司官が務めました。 明治になり廃藩置県が実施されて至聖廟の土地、建物などは国有化、那覇区への譲渡、そして久米崇聖会への譲渡と変遷しましたが、釋奠祭禮は那覇区の補助と久米村有志の拠金で続けられていました。第2次世界大戦の10・10空襲で至聖廟などの建物などが焼失して戦中戦後の混乱期には祭禮の中止を余儀なくされましたが、昭和50年那覇市若狭の天尊廟地に久米至聖廟がようやく再建され釋奠が復活しました。

9月28日の釋奠の日には、午前と午後に祭礼が行われ午前中に孔子の父と四配の祖先を祀る啓聖祠で、夕刻には大成殿で孔子や四配(顔子、曾子、子思子、孟子)の祭禮を行います。大成殿と啓聖祠には豚、魚、鶏、菓子、果物、甘蔗、帛(はく:絹織物)、爵(しゃく:酒)などが供えられ、琉球王朝時代の黒朝礼服に身を固めた執事により厳に祭禮が行われます。 祭禮のながれ、写真もどうぞご覧下さい。

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